片貝木綿の歴史
新潟県小千谷市の片貝町で、片貝木綿は生まれました。今でこそ片貝町は小千谷市の一部ですが、1956年に合併する前は三島郡片貝町と呼ばれ、日本海に近いことから、様々な物資が海を越えて渡ってくる土地でした。
江戸時代は幕府の直轄領(天領)だったことから、「安心して仕事ができる」と、多くの職人がこの町に住み着き、その中には、鍛冶屋や箪笥屋、下駄屋、酒の醸造を行う杜氏も多かったといわれています。
昭和に移り変わる直前の大正14年。世の中では、美学者・柳宗悦が「民藝」という言葉を提唱し、日用品の中に美を見出す「民藝運動」を進めていました。
そして昭和20年代。
片貝木綿を手がけ260年以上の歴史を持つ紺仁染織工房の染織が、民芸運動の一環として日本各地を回る一行の目に留まり、技術を生かした独自の織物を作ることを勧められたのです。
「これからは、作業着のための藍染めは不要になる。それに代わる、カジュアルでおしゃれなものを作ろうじゃないか」、そんな声をきっかけに生まれたのが、片貝木綿でした。
自然素材である綿をできる限り自然のまま生かし、太さの異なる3種類の糸を組み合わせて織った片貝木綿。
吸水性に優れた綿素材は表面が平らなため、肌にまとわりつくのが難点ですが、3種類の糸を合わせることにより、細い糸が肌に当たらず、空気をはらみ、サラっとした感触が続くよう仕上げました。
「太い糸と細い糸を混ぜると、糸の良さが表情に現れる」とは、柳さんの教えでした。
片貝木綿 LINE UP
「用の美」を背景に生まれ、「着心地の良さ」「しわになりにくく美しい着姿」「家で洗濯できる扱いやすさ」をかね備えた片貝木綿。
正絹に比べ、特別な日に限らず気軽に着ることができるので、気合を入れ過ぎず自然体でお召しいただけます。
きちんと感を出すには名古屋帯、気軽に色々な結び方を楽しむには半幅帯がおすすめ。
洋服が一般化した現在でも、特別な日常着として好印象を与えることができるでしょう。
ほかの木綿きものの産地
古くより身近な日常着として親しまれてきた木綿のきもの。新潟-片貝 以外にも、現在 様々な地域で作られています。
中でも有名なのは、静岡県浜松市で織られている「遠州木綿」や、福岡県久留米市で織られている「久留米絣」などが挙げられます。
いずれも伝統的な美しさを大切にしながら、現代のシーンに映えるものづくりを行なっています。